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あなたも知ってるポーランド人(その2) 
〜ヨハネ・パウロ2世編〜

前回に引き続き、今回もポーランドの有名人をご紹介いたします。ご紹介するのは、「カロル・ヴォイティワ」。ショパンと並びポーランドが世界に誇る偉大な人物です。そんなに凄い人なのに一度も名前を聞いたことがない…という人も多いかもしれませんね。でも、別名「ヨハネ・パウロ2世」と聞けば、きっと誰もがおわかりになることでしょう。歴史上もっとも影響力の大きかったローマ教皇のひとりと言われている彼は、第264代ローマ教皇にして歴史上初となるポーランド人教皇なのです。

カロル・ヴォイティワは、1978年にローマ教皇に選ばれて以来、100か国以上の国々を訪れては、現地の言葉を使って人々と触れ合い、世界平和と戦争反対を呼びかけ続けてきました。1981年には、広島と長崎を訪れ、日本語で戦争の恐ろしさと核兵器の廃絶を訴えました。その同年、彼はローマで反対派による銃撃を受けることになりますが、それでも決して冷静な態度を崩すことなく世界平和を説き続けました。祖国ポーランドが戦争で苦しんだ経験もあり、戦争に対しては一貫して反対の姿勢を取ったのです。

こうしたヨハネ・パウロ2世の平和活動はポーランドの民主化にも大きな影響を与えました。彼の演説を聞いたポーランド国民たちは平和と民主化へのた熱い情熱を燃え上がらせ、一気に民主化路線へ動き出します。レフ・ワレサが率いる連帯が民主化に向けて活動を活発化し始めたのも、まさにこの頃です。そうした動きは、ポーランドだけでなく近隣諸国にまで波及し、多くの東欧社会主義国が平和的に社会主義から脱却する一助となったとも言われています。

2005年に84歳で生涯を終えるまで、カロル・ヴォイティワはローマ教皇の座に就きました。彼の葬儀に参加するために世界中から集まった人々の数は、史上最大規模だったそうです。ちなみに、彼の死後ローマへと訪れた信者の数は500万人に上るそうで、うち200万人はポーランドからの訪問者であったとも言われています。カトリック信者の多いポーランドにおいて、ヨハネ・パウロ2世という人物はまさにポーランド人の誇りなのです。

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